受験勉強の意味

最近、ある友人のブログを読むのが好きで自分も何か発信できたらなぁと思い書かせてもらいました。自分は彼のように文才があるわけではないので稚拙な文章にはなりますが最後まで読んでくれると嬉しいです。

突然ですが、みなさん受験勉強をする意味ってなんだと思いますか?学力の向上、忍耐力をつける、問題解決能力や集中力をつけるなどなど。どれも正解だと思います。しかし、受験勉強といっても形態は人それぞれで答えもまた人によって異なってきます。なので、ここではあくまで自分が受験を通して得たある種の答えのようなものを書かせてもらいます。

自分は元々プライドが高い人間です。何かと他人と比べて落ち込んだり優越感に浸ったり、感情に出やすい方だしどこかで自分はやればできる人間だと思っている部分があります。受験勉強を始めた頃、正確には受験勉強をしようと決めた頃は努力をすればどこの大学でも合格するだろう、なんとかなるだろうと思っていました。そんな考えで受験勉強をして、いざ受験をしてみると第一志望、第二志望の大学は不合格、結局合格したのは滑り止めで受けた第三志望の大学のみ。今まで自分が受験勉強に費やした時間をすべて否定されたような気分に陥り当時はかなり苦しみました。なぜこんなことになったのか、友人のブログから引用させてもらうと

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不思議なことにプライドが高い人、いうなれば自分を高く見積もっている人ほど自分に自信がない。ほんとはできないことでもできると自負してるもんだから、できないことをするときにできないという当たり前の事実に直面したときに自信喪失に陥るのは自明で且つ自然な流れだ。生まれてこのかた自分と真摯に向き合ってこず、できることとできないことの区分けができていない。

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まさにこれだと思います。自分の力量を知らないが故にできると慢心し、そしてできないという現実を突き付けられたとき初めてできないということを知って自信を失う。自分が目指す大学の求める学力に達していないのにその学力があると思い込んでいるから落ち込むんですね。例えば一般的なそこらへんにいる(といったら失礼だが)高校生が東大を受験して失敗してもなーーーんにも悔しくないんですね。だって学力が足りなくて落ちるってわかってるから。

自分が自分のこのプライドの高さを含め自分自身のことを本当の意味で理解したのは受験後だと思います。そしてこれが受験をして良かったと思える理由のひとつです。極一部の人を除いて、受験では多かれ少なかれみな努力をします。その努力をどこまでできる人間なのか、本当につらいギリギリのところで自分は諦めるのかそうでないのか、もっといってしまえば自分はどういう人間なのかということを知る「自己の再認識」が僕の思う受験勉強の意味です。

今もしこのブログを読んでくれてる受験生(おそらく高専4年生)の人がいたら、是非必死に受験勉強をしてください。それがたとえ僕のように不合格になったとしても必死で勉強して自分がここがもう限界だと思うところまで努力をした結果なら、それは決して無駄にはならないはずです。